【闇のプロジェクトとホログラフィック宇宙論】闇の極秘計画「ペガサス・プロジェクト」

6歳のバシアゴ氏が参加した極秘プロジェクトの真相とは何か?

 アンドリュー・バシアゴ氏は、1961年にアメリカ・ニュージャージー州モリスタウンで生まれた。兄、姉など3人いる。IQ186のバシアゴ氏だが、幼い頃から高いIQの彼をペガサス・プロジェクトに引き入れたのは、父親のレイモンド・バシアゴ氏だった。
 航空技術エンジニアだった父レイモンド・バシアゴ氏は、当時ニコラ・ステラが遺したアイディアを実用化するためにパーソンズ・ジャーディング社から軍に派遣されていた。
 CIAとパーソンズ・ジャーディング社の間でテレポーテーション技術に関する主任技術連絡員を務めていたようである。つまりレイモンド・バシアゴ氏はペガサス・プロジェクトを推進する一人であった。

「テレポーター」と呼ばれる装置


1960年代当時は、DARPA・国防高等研究計画局の管理下にある。1943年に亡くなったニコラ・ステラが、多くの実験データや論文などを元に作り自室に遺していた。国防総省やFBI・米連邦捜査局によって押収されたデータや論文を分析、研究の結果実用化されていた。高さ約2.5mの2本の楕円形をした金属製の柱がスピーカーのように配置されている。2本の間隔は約3.3m。
ニュージャージー州ウッドリッジにあるカーティスライト社、航空機製造メーカーである同社(現在は部品メーカー)の航空設備施設の68号棟作業場の2階にあり、バシアゴ氏が6歳の時に、父親レイモンドに連れられて訪れ、奇妙な形状の装置を目撃する。
バシアゴ父子はその装置の前に立った。
担当者がスイッチを入れると2本の柱の間に、きらめいて流れる滝を思わせる透明スクリーンが現れた。
123と数えたら、その中に一緒に飛び込むんだ。」
父は息子の手をとり、光の中へジャンプした。

光のトンネルを潜り抜け、未知の世界とびこむ

 テレポーターの中は、「トンネル状」になっていた。バシアゴ父子は23秒後に「トンネル」を抜け出たのだが、バシアゴ氏はその際に周囲で多くの人々や様々な事件が猛スピードで現れたり、消えたりするのをみたという。
 そして「トンネル」を抜けた時に父子は見知らぬ丘の中腹に立っていた。そこは、大西洋岸にあるニュージャージー州~ペンシルベニア州をまたいで西にあるオハイオ州スウェッジロクの丘陵地帯であった。
 その後再び父子は「トンネル」に戻り新たな場所に出た。そこは南部のニューメキシコ州州都サンタフェの州議会議事堂近くの駐車場であった。
 これら一連の体験が、バシアゴ氏の初めてのペガサスプロジェクトにおける「テレポーテーション」体験となった。6歳のバシアゴ氏には、「空間移動」のみ理解できて「時間移動」までは理解できなかったという。
 バシアゴ氏によると「テレポーター」内の光の滝は、かつてテスラが発見した「放射エネルギー」(ある種プラズマエネルギー)で、時間と空間を曲げるという特質ををもつ。バシアゴ父子は、この「放射エネルギー」によってできた「トンネル」(=量子空間出入り口)にエネルギー場を通じて飛び込んだのである。
 さてバシアゴ父子が抜け出られたサンタフェ州議会議事堂近くの駐車場には、車が用意されており、レイモンドはバシアゴ氏を連れて出発している。
 やがて車は約1時間後に米ロスアラモス国立研究所に到着する。入り口で二人を待っていたのは、マンハッタン計画において原爆開発に参加していた物理学者のハロルド・アグニュー博士であった。3人は研究所内の一室に入った。以下はレイモンド・バシアゴ氏がアグニュー博士に話しかけていた内容である。
「博士はもうテレポーターをお使いになりましたか?」
「まだです。でも時間をとってでもなるべく早く試してみたいと思っています。」
「快適でした。それにとても安全できたよ。」

CIAに厳しい訓練を課せられた少年たち

 テレポート体験からいつのまにかペガサスプロジェクトに組み込まれたバシアゴ氏だったが、自らに課せられた任務を自覚したのは、8歳か9歳になる1970年のことだったという。1973年ごろまでバシアゴ氏は幾度となく「テレポーテーション」や「タイムワープ」の実験に参加することとなった。
 なお少年少女の実験要員は、バシアゴ氏を含めて140名。彼らは10人ごとにチームを組まされ、CIADARPAによる厳しい高等学習プログラムを受けさせられた。
 それらの特別プログラムとは、バシアゴ氏によると歴史や科学技術史、異星人情報、裏の古代史など多岐に渡った。
また「タイムワープ」で過去に行った時、目撃しなければならない標的、または事件について帰ってきてから報告する必要があったため、「CIAに小刀の使い方、空手、合気道などの護身術、スパイのやり方を覚えさせられた。」さらに「コロンビア大学作製のカリキュラムを使って様々な分野の基礎知識も頭に叩き込まなければならなかった。」
そして「実験と訓練を兼ねてカーティスライト社のテレポーターからサンタフェまで、定期的に「タイムワープ」体験も積まされたよ。」
 少年たちは、サンタフェでは近所の砂丘に着地した後、市内のバタン記念塔ビルに集合した。
サンタフェからの帰路には、約70㎞離れたアルバカーキにあるサンディア国立研究所(マンハッタン計画関連施設)内の「ジャンプ・ルーム」サンディア・テレポートを利用した。
チームリーダーであったバシアゴ氏がタイムワープから帰還後、成果の報告をした人物は、後に2003年~2011年までニューメキシコ州知事を務めることになったビル・リチャードソンだったという。

タイムワープに伴う危険が少年たちの悲惨な事故を招いた

〈子供たちを使ってペガサスプロジェクトを進行させた理由〉
   タイムワープの目的地では、大人より子供の方がめだちにくいこと。
   タイムワープの際に被る強力な電磁波から受けるストレスに年齢が若い方が耐性が高い。
   物事を観察するのに子供の方が偏見や先入観がない。

初期のタイムワープ実験には問題点が多く、悲惨な事故もしばしば発生した。

① 目的地に到達する際に体の一部がトンネルから出るのに一瞬だけ遅れたために、少年の両足がちぎれた。
   次元の狭間に落ち込んで少年が戻ってこられなかった例がある。
   トンネルの出口が正確に設定できないことがあった。
   トンネルの中で使える酸素の量が限られているのを知らずに被験者が長いトンネルの中で窒息してしまうことがあった。
   テレポーターを組み立てた時に装置を調整中だったある技術者は、器具をとろうとして誤って手を量子空間出入り口=トンネルに突っ込んでしまった。気が付いた時に技術者は、アフリカ大陸のど真ん中にいた。彼が研究所に戻るまで6週間かかった。

プロジェクトに参加した子供たちは、ある意味実験用モルモットと大差なかった。

トンネル内へは、早歩きで飛び込むように入り、入ったらそのままの姿勢を保つことが大切であるという。
1968年当時のテレポーターでは、トンネルの入る際に金属製のものをもたない、ことが必須の注意事項だった。電磁波の影響で金属は熱せられて電子レンジ内のように火花を発するからである。
 ズボンのベルトを布製にかえる必要がある。コインがズボンのポケットにあれば、分厚くなり、弾丸のようになってトンネル内をとびはね火花が散る。

疑似タイムマシン!?新装置クロノバイザーの登場

テレポートしたバシアゴ氏

リンカーン大統領のゲティスバーグ演説

 バシアゴ氏は、1863年のペンシルベニア州にタイムワープし、エイブラハム・リンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」の現場に居合わせた逸話がある。
 その時にバシアゴ氏の父親も異なる日にジャンプルームから同じ場所に出発していたという。バシアゴ氏によると、
「実は父もその場にタイムワープしてきていたんだ。人混みの中で見かけた時は本当にびっくりしたよ。でも父は徹頭徹尾知らんふりをしていた。よく考えたら、現地の人々の注意をひかないようにしないとならなかったから、父の態度は当然だったんだ。」
 1971年のある日、10歳のバシアゴ氏は「クロノバイザー」と呼ばれる新しい装置で、未来のアメリカを調査することになった。
 2013年にアメリカを襲うはずの大洪水で、ワシントンDCの合衆国最高裁判所がどうなっているかを調査するのが目的であった。

〈「クロノバイザー」とは何か?〉

 元はイタリアで開発された霊界の音声と3D画像を受信できる装置だった。その3Dがやがて4Dへと進み、被験者が霊界のみならず未来や過去の映像のホログラムに包まれ、現れた人物と会話ができる。いわば現地へいかないタイムマシンへと発展したものである。

 モリスタウンの某社施設に巨大なクロノバイザーがあった。一つの部屋の天井いっぱいにクリスタルが吊るされ、視覚情報を投射すると同時に未来のホログラムと音声をリアルタイムで現在と相互に受信できるらしい。
 ただここでも被験者は子供である。被験者が大人だとホログラムが崩れるのである。
 電磁波保護スーツを着て、クリスタル製のヘルメットを被り、約75㎝の高さのd台の上にたったバシアゴ氏は、装備が作動した後に水しぶきを感じた。最高裁判所は水面下にあるようであった。(水深約30m下)建物の円柱は水苔で覆われていた。
 装置が止まった時バシアゴ氏は冷や汗を多量にかいていた。
 クロノバイザーで得られる未来や過去の画像は、あくまでタイムライン(時間軸)の一つにすぎず、未来が確実にバシアゴ氏が見た通りになるとは限らない。
 現に最高裁判所が水没する事態は発生していない。
 あとクロノバイザーの特質として、被験者は一時的に周囲から姿が見えなくなることがあるようだ。
 その後もバシアゴ氏は、テレポーターやクロノバイザーを使ってタイムワープを続けた。1億年前のアリゾナで恐竜を目撃したり、1800年代のオランダで水路に落ち女性に助けられたりした。
 だが1971年夏にクロノバイザーによる実験は中止になった。少年たちの実験で得られるデータに微妙な狂いが生じ、我々が知るタイムライン(歴史)が改変される恐れがでてきたからである。

新たな装置スターゲイトを通じて数十年後の未来へ跳ぶ

〈「スターゲイト」とは何か?〉

 1972年夏に登場したテレポーテーション装置。ニューメキシコ州セリロスの廃棄された娯楽施設のバスケットボールコートに設置された。
 高さ約2mの金敷台に似た形で下部が切れた形をしている。天井まで届くほどの巨大なこの装置は、むろんこれまでの装置より強力であり、国防総省から派遣された技師によって管理されていた.。切れた下部が入り口で、青く光っていたという。
 実は、テレポーターでトンネルを抜ける道は、息をとめている必要があるのだが、これまでの時間は3秒ほどであった。ところが「スターゲイト」は巨大なためかタイムワープに時間がかかる。バシアゴ氏によると装置に入る前に、できるだけ息を吸い込んでおいて、約30秒は呼吸しなくてもいいように肺に空気をため込んでおく必要があった。

〈スターゲイトを利用したバシアゴ氏の目的〉

 2045年の未来を訪れてアメリカ南西部の某公園内の研究所から200mの長さがあるデジタルマイクロフィルムとして保存されている1970年~2045年までのタイムワープのデータをもってくることであった。

 帰路もスターゲイトを利用して、コロラド州パゴサスプリング付近の砂丘近くのマイクロ波塔が目印となる。こうした何もない砂丘上のマイクロ波塔が出す電波には、タイムトラベラーに対するターゲット信号を含む場合が多いという。

「モントークチェア」とは何か?

 人工的に精神の体外離脱を誘発する装置である。バシアゴ氏は、CIAによる教科課程を身に着ける一環としてあった。
 椅子に座って「人生において将来、自分が何をすることになるのか。」を知るというものだった。そこに座ると将来の自分を「心の目で」みることができるのだ。
 この装置による実験でバシアゴ氏はある事実を知ることになる。
「宇宙の創造装置が5次元世界にあることだった。つまりそれは、宇宙のすべてが高度のホログラムであることを示すのだ。このことは(バシアゴ氏と)同じ実験をした子供たちも同じことを感じていた。」
 バシアゴ氏の報告の記録係は彼にそれを「マトリクス(生み出すものの意)」と呼ぶのだと教えてくれた。

極秘プロジェクトの影で蠢く政府の要人たち

 バシアゴ氏は「ペガサスプロジェクト」に関わることで、後にアメリカ政府の中枢に君臨することになる要人らを以前から知っていた。
 1971年のある日、ペガサスプロジェクトの関係者による昼食会が開かれた。25人前後が集まった昼食会には、バシアゴ氏をはじめ彼の父ら技術関係者、軍関係者、ブッシュ一家などが参加していた。
 後に第43代大統領となるジョージ・W・ブッシュは、25歳の若者だったが、席上「僕と僕の親父が将来、大統領になるんだって。」と話していたのを覚えている。
 さらにバシアゴ氏は、1982年にUCLA(カリフォルニア大学ロスアンゼルス高)の学生だったバラク・オバマと接触している。オバマもまたその時自分が将来大統領になることを知っていたという。オバマは「ペガサス・ボーイ」の一人であったといわれるが、モントークチェアの体験者だった可能性が高い。
 アンドリュー・バシアゴ氏の「ペガサスプロジェクト」参加は、1973年で終了するが、プロジェクト自体は現在も継続中である。そしてバシアゴ氏はそこで培った経験を活かしてその後も驚くようなミッションに参加していた。


(引用文献:『月刊ムー』11月号№420 平成27109日発行)

【関連動画】
謎のペガサスプロジェクト




『地上の星』中嶋みゆき

こちらは「プロジェクトX」(NHK)の主題歌でした。

「フィラデルフィア実験」「モントークプロジェクト」「ペガサスプロジェクト」と都市伝説のようなミステリーばかりで、これが真実をあらわしているとは、到底考えられない気持ちもあります。ですが信憑性はともかく一連のプロジェクトを経験されたという人物が証言者として存在する点は、一概に虚言ともいえません。アメリカ合衆国という国家がロズウェルで円盤型飛行体の回収に成功し、研究と異星人との技術提携からハード面での技術革新が進んでいるなら、時空間移動というソフト面での技術移転があったとしてもおかしくはないでしょう。国家が世界で「主導権」を確立し、それを維持していこうと考えた時に他国にも、自国民に極秘にしてでも一部で独占したい思想や技術はあるでしょう。利権が絡めばなおさらです。しかしだからといって「公共の福祉」の考え方に立脚した時に、本来国民共有の知識、技術であるはずのハイテクノロジーが極秘に扱われ、一部の人間や団体に「独占」されている状況は許されることではありません。UFOの情報公開はアメリカでも進んでいます。もしも地球上で発想しきれないそれぞれの国民の平和秩序の実現やくらしの向上に資する知識や技術があるのなら、積極的に公開し、人類の精神性向上やリテラシー向上に資するものにしていく必要があると考えます。
火星探査車を修理する人影が撮影される! 火星移住のプロジェクト・ペガサスは、本当に実施されていた? 2016/12/02 に公開 https://youtu.be/QsvIHDp6K58

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