【闇のプロジェクトとホログラフィック宇宙論】マンハッタン計画からフィラデルフィア実験へ・モントーク・プロジェクトへ受け継がれる ~単なる都市伝説なのか?~

「フィラデルフィア実験」の真実

1931年「レインボー・プロジェクト」が発動する。
 後の「フィラデルフィア実験」「モントーク・プロジェクト」を包括する対レーダー不可視技術実用化のためのプロジェクトである。
 プロジェクトは、天才といわれたクロアチア生まれのアメリカ人電気工学者ニコラ・テスラ氏を中心に進められた。
1940年ニューヨーク・ブルックリン海軍工廠で行われた最初の実験は、テスラが開発したテスラコイルを搭載した無人の小型船を使用したものだったが、見事に成功したといわれている。しかしその後の有人実験は失敗し、テスラはプロジェクトから追われ19431月に失意のうちに逝去した。

(フィラデルフィア実験)

 新たにプロジェクトの中心人物として登場するのは、ハンガリー生まれのアメリカ人数学者ジョン・フォン・ノイマンだった。このノイマン氏主導の下でさらに大規模な実験が行われることになる。

疑惑の駆逐艦エルドリッジ号

〈一般的なフィラデルフィア実験の理解〉

19431028日にペンシルベニア州フィラデルフィアの海軍工廠で乗員を載せた駆逐艦エルドリッジ号をレーダーに対して不可視にする目的で行われたものということになっている。
 巨大なテスラコイルとアンテナを積んだエルドリッジ号は、発生した強力な磁場によりレーダーが捕捉できなくなり、実験は成功したかにみえた。

〈フィラデルフィア実験の実態〉

 ところがエルドリッジ号は、「靄に包まれ」レーダーどころか「視界から」も消えてしまったのである。
 その姿は、約2500㎞離れたバージニア州ノーフォーク沖に現れ、4時間後に再びフィラデルフィアに戻ってきた。

《駆逐艦エルドリッチ号の機器のアクシデントによる被害》
死者、行方不明者16
精神に異常をきたした乗員6
船体の多くの部位が破損、消失した箇所も存在した。
 これらの事故の後、実験は中断され、事件は米海軍上層部によって「機密」として隠蔽された。

〈プレストン・ニコルズ著『モントーク・プロジェクト~謎のタイムワープ~』が語るフィラデルフィア実験〉

 プレストン・ニコルズ氏は、フィラデルフィア実験の後継プロジェクトであるモントーク・プロジェクトに参加したという電子工学の専門家。
エルドリッジ号の事故の主な情報源として、エルドリッジ号の乗員だったアルフレッド・ビーレックをあげる。
駆逐艦エルドリッジ号を使用した実験は、「対レーダー不可視効果」どころか「テレポート現象」および「タイムトラベル」という想定外の結果をもたらした。
駆逐艦エルドリッジ号の転移先は、ノーフォークということになっているが、実は1983年のニューヨーク州ロングアイランドのモントーク空軍基地跡であったという。
しかもこの時に「火星に通じるタイムトンネル」まで形成されたといわれる。
 さらにフィラデルフィア実験の後、錯乱状態に陥った乗員が存在するなど、実験による電磁波が人間の精神に大きな影響を与えることが立証された。そのため電磁波を制御するための「マインドコントロール技術」が開発された。

バシアゴ氏は、ビーレック氏が後にマインドコントロールを施され、記憶のかなりの部分に改竄が加えられているとされる。従ってニコルズの著書にあるフィラデルフィア実験は、細部にわたり間違いが少なくないという。

駆逐艦エルドリッジ号の乗員は虚偽の記憶を脳に植え付けられたのか?

フィラデルフィア実験について著されたプレストン・ニコルズ氏の著書についてバシアゴ氏が語るところによると以下の通りである。
「僕は、この『モントーク・プロジェクト~謎のタイムワープ』に出てくるフィラデルフィア実験にはかなりの部分で虚偽が混じってると思う。2001年に出版された『フィラデルフィア実験』の著者アレクサンダー・ブルース女史とも電話で話したが、僕たちの共通認識としては、ビーレックの話は信用できないということだった。」
「僕はこの本に登場するボブ・ベックウィッツ博士にペガサス・プロジェクトに参加していた子供のころ会ったことがある。父もまじえてハイキングにでかけた。当時はGE(ゼネラル・エレクトリック)社から派遣されていた優秀な技術者という感じだった。だが彼は実はテレポーテーション技術の専門家として、フィラデルフィア実験に加わっていたのだ。」
 バシアゴ氏は、ベックウィッツ博士が後に亡くなる数年前にこの実験について電話で話したらしい。そこで明かされた事実はまさにブルース女史の著書に書かれた通りだったという。

〈フィラデルフィア実験の真実とは?〉

フィラデルフィア実験は、駆逐艦エルドリッジ号において行われたとされているが、実は機雷戦艦艇であるマーサズ・ヴィンヤード号で実施された。マーサズ・ヴィンヤード号は、元々民間使用のヨットであり、持ち主のジョージ・A・ミラーが1943111日付でアメリカ海軍に貸し出したものであるという。
実験場所のフィラデルフィアではなく、ニューヨーク州ロングアイランドだった。さらにテレポート先もノーフォーク沖合ではなく、2週間前に停泊していたバージニア州ニューポート・ニューズ沖で、停泊していたその時、その場所に一瞬だけ戻った、いわゆる過去逆行現象が生じたようである。

またビーレック氏がマインドコントロールを施されていたとする傍証に、彼がフィラデルフィア実験について話す時は、その表現が例え人々を前にした講演であろうとVTRの前であろうと一言一句同じなのだとバシアゴ氏は語る。
表現に自由がなく、マインドコントロールで虚偽の記憶を植え付けられた可能性があるとしていた。
またベックウィッツ博士によると、フィラデルフィア実験によると駆逐艦エルドリッジ号(掃海艇?マーサズ・ヴィンヤード号)の艦上で実験装置の設定を行ったのは、ジョン・ロバート・オッペンハイマーをはじめハンガリー生まれのアメリカ人エドワード・テラー、イタリア人エンリコ・フェルミなどの理論物理学者であったという。
いずれも第二次大戦に原爆製造で有名な「マンハッタン計画」の当事者である。「フィラデルフィア実験」と「マンハッタン計画」の接点とは何か?

マンハッタン計画の背後にあったもの

ベックウィッツ博士の証言による。
「イタリア人エンリコ・フェルミ博士は、イタリアでタイムマシンの研究をしていた人物であった。
マンハッタン計画の原子爆弾の製造をめざしていたというのは、あくまで表向きの目的であり、実は裏では「テレポーテーション技術の開発」が進められていた。
つまりマーサズ・ヴィンヤード号で実施されていた実験対象は、レーダー不可視技術などではなく、はじめからテレポーテーション技術の実験であった。
ベックウィッツ博士は、実験の中で話し合う中でエドワード・テラー博士から次のような話を聞いている。
「テスラの実験をやり直している時間はない。船体を大きくして同じ実験結果が得られると信じるより仕方がなかった。」
ヴィンヤード号における実験は、民間のベル研究所の技師たちが主に担当したことにより、米海軍は直接ほとんど関与していなかったといわれる。
ヴィンヤード号の実験装備については、船尾にGE社製の交流発電子×3機設置(高さ1.5m幅1m)、低電圧で1000アンペアの出力があった。制御機器も船尾に設置されていた。
テレポートにおける乗員の被害は、帰還時に乗員の一人が意識がもうろうとなり、甲板から落下し、下にあった鉄鋼材に体を串刺しにされる。
また船内の食堂から姿がみえなくなり、そのまま行方不明になった。
実験が実施されたのは、19439月か10月と推測されている。

さらにベックウィッツ博士は、米陸軍情報将校であったフィリップ・コルソ退役大佐からも証言を得ている。
「私は(コルソ退役大佐)直接アーレー・バーク提督から、実験で人命が失われたことに対して深い遺憾の意をもっている、と聞いたことがある。」
アーレイ・バーク提督は実験当時は中佐で海軍工廠で働いていた。コルソ退役大佐は、第二世界大戦の英雄で「ロズウェル事件」に関わった人物である。
これら一連の証言が事実とすると1943年のどこかの時点で「テレポーテーション実験」が密かにマンハッタン計画を隠れ蓑に実施されていたことがわかる。

継続される「時空間プロジェクト」

フィラデルフィア実験の結果をうけて新たなプロジェクトがスタートする。
「モントーク・プロジェクト」
研究対象として、テレポーテーション技術だけではなく、タイムトラベル、マインドコントロール、火星文明の実在証明と多岐に渡るものであった。
モントーク・プロジェクトでは、主に「モントーク・ボーイ」と呼ばれる子供たちがタイムトラベル実験の対象とされ、後に「テレポート・スパイ」として選別・訓練されていった。
タイムトンネルとテレポーテーションを混合した「タイムワープ実験」で活躍することとなる。

モントーク・プロジェクトの舞台となったモントーク空軍基地跡














テレビ 2017 矢追純一 UFOスペシャル 第五弾 ドキュメンタリー テレビ モントークプロジェクト https://www.youtube.com/watch?v=BnAMOMR3ItE&t=577s

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